2009年2月17日 (火)

卵の側に立つ

村上春樹さんが好きなひとはすでにもう知ってるひとも多いんじゃないかと思いますが、これすごく感動しました。

先日、村上春樹さんがイスラエルから「エルサレム賞」が授与されるという話が持ち上がってから、一部のひとたちからその賞に対する辞退要求などが出されました。理由はこうです。


拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.html

「エルサレム賞」受賞に関する村上春樹氏への公開書簡:パレスチナの平和を考える会
http://palestine-forum.org/doc/2009/0129.html

mixiをやられている方は↓を見てもいろいろな意見が出ていて、おもしろいと思います。
「エルサレム賞」辞退要求に対する意見」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39556499&comment_count=35&comm_id=178797


で、僕も村上春樹さんがどうするのか、とても気になっていました。
きっと春樹さんは、文体も顔つきも静かな愛情に満ちている感じですが、心意気はハードボイルドな少年なので、なにを!という反骨精神も手伝って、行きたくなくても行っちゃうんじゃないかと思っていましたが、実際は想像をはるかにうわまわっていました。

村上春樹さんのイスラエル講演をハルキ風に和訳してみた
http://ahodory.blog124.fc2.com/blog-entry-201.html


たくさんのイスラエルのひとびとを前に、どれだけのひとがこれだけのことを言えるでしょう。

小説家らしい、たくさんのウィットや皮肉と、村上春樹さんらしい優しさのこもったスピーチに思えました。武器ではなくこうして言葉で立ち向かえば、世界は動くんじゃないかと心が動かされました。

特に、「そして僕は、立ちはだかる壁とそれにぶつかって割れる卵となら、その壁がどれほど正当でまた卵がどんなに誤っていようとも、卵の側に立つ」のところが好きです。


幼稚なたとえですが、誰でもむかし一度は、なんだか知らないけどみんなでよってたかってひとりの子をからかったりいじめたりしているのを見てて、「やめろよ!」って言ったり、言いたくなったりしたことがあるんじゃないかと思います。

内容がどうのじゃなくて、その構図がヤなのです。でも年を経るにつれ、僕もだんだんと集団の中で生きる知恵をつけ、言わなくていいことは言わず、いつのまにか心にもないことも言えるようになりました。

しかし、どこかでやっぱり、いつか言わなければいけないタイミングが来たら、きっと僕だってまだ言えるんだと、小さな自負を必死に守って、自分に言い聞かせていました。

だから、爽快だったのかもしれません。勇気づけられたのかもしれません。


そうしたひとたちの気持ちは、たとえひとつひとつは小さくても、しっかりと心の中を明るく照らし、いつかみんなが力をあわせて太陽のような輝きを放つのかもしれません。

一発の巨大なミサイルや、どんなに複雑で暗澹たる社会構造が立ちふさがったって、僕たちの思いに勇気さえあれば、いつかは打ち破ることができるのかもしれない。

オーバーかもしれないけど、そんなふうに思って、心が熱くなりました。


あとで知ったら、翻訳元のイスラエルポストは一部をカットオフしていたみたいで、他にももっと踏み込んだことを言っていたようです。

卵と壁 - Les vacances de Monsieur Keitaro
http://d.hatena.ne.jp/nakamu1973/20090217/1234789406

いやーすごい!
反対や心配をしていたひとびとにとっても、よいニュースだったのではないでしょうか。
誰かも言ってたけど、なんでテレビのニュースや新聞はもっともっと大きくこういうことをとりあげられないんだろう?


とにかく、僕はこの小説家をずっと好きだったことが、誇らしいなあ。嬉しいなあ。

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2008年7月16日 (水)

大赤羽馬鹿騒祭

Bakasawagimatsuri
今週末イベントやりまーす。気が向いたら遊びきてください。適当に連絡してください。和風な雰囲気の服装で割引有。ソーメン流します。

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2008年4月18日 (金)

ひまだし、チャットで声でも出してみるか

ひまだなー。

4月だし眠いね!ふわふわしちゃう!
ひまでついお茶飲みすぎてタンニンで歯の裏がキシキシしたり、ついコーヒー飲みすぎて指先がとがってハアハアしたりしても、心はいつも雲の上だね!

やっほー。


そんなあなた。


気分転換にちょっと変わったチャットでもやりませんか。

Voicechat_capture

声の出るチャット。しゃべれないけど。タイミングよく使わないとダメです。
好きな声もアップできます。1週間とっとけます。キメゼリフくれてください。

言ってることが伝わってないと思います。。
ドゥーしてください。クリッキングしてドゥー。

開発途上なのでバグや不具合報告待ってます。

いずれちょっとムーディーなオトナのチャットつくりたいです。セクシーカップルは僕に声ください。
動物チャットでニャーニャーとかワンワンとかも平和なのでそういうバージョンもやりたいです、いずれ。

どうかな?

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2008年4月11日 (金)

ひまだし、イケメンにでもなっとくか

ひまだなー。
なんか手ってこすると臭いね。みんなこすると臭いの?いや、でもだんだんいいにおいになってくるね。こすればこするほどいいにおいするね。
すげーこすった。なんか分泌さてる。これ備蓄できないのかな?ストックオプション的に。

たぶんストックオプションて言いたかっただけ。

あーあー。ひまでぼんやりしちゃうなー。


そんなあなた。

気分転換にイケメンにでもなりますか。僕だってほらイケメン。
ほら??
1_2


イケメンメーカーつくりました。マイミクとかみんなイケメンイケガーにしてやりましょう。

はなはだしいです。


んじゃハナメガネーカーで。
集合写真を団体ハナメガネ。強制ドリフ風。

http://www.math.sci.hiroshima-u.ac.jp/algebra/seisu/image/hiro02b.jpg
↑加工用のおすすめ画像

すげー楽しそう(笑)


コマネッティをよろしくどうぞ。少しずつ、いろいろつくっていきたいと思います。

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2008年1月20日 (日)

友達は宇宙人

昔、友達とやんちゃ帰りに車に乗ってたときのことだ。
もう夜も遅くて、ヘロヘロながら、ふと車の外を見たら、遠く方の方になんか変なのがあって、なにあれ?UFO?て流れになって、運転してるその友達に「車をとめて」と頼んだら、怒られた。
「UFOなんかいねえーよ」って怒られた。なんか強い感じだったので、その場はもうなし崩しに「そうだよ。。あれはUFOじゃないよ。。UFOなんていないよ。。ごめんなさい。。」みたいになって車内の雰囲気は元栓が抜けたみたいになった。もうそれ以降なんとなく誰もそのことは口にしなかった。

別の席で、ふとしたはずみで当時の話になって、なんであんときあんなに怒ってたの?ということになった。いくらなんでもあんなに怒らなくてもいいじゃん。
なんか怪しいよね、という声まであがった。

あげたのは僕だ。あげざるを得ない。

別の友達は、一緒に電車に乗っていたら、その彼が見知らぬひとと、急に分かり合った話をしてどっかの駅で降りていったと言う。そんな話まであった。


なので思い切って、本人にどうしてあの車の帰り道、あんなに怒ってたのか聞いてみた。

全然覚えてなかった。
なにそれ?おもしろいねーと言って笑ってた。

でも最後に、最近おれ宇宙に興味あるよ、と言っていた。

なにそれ。

あやしい。


「最近おれ宇宙に興味あるよ」が、ずっと頭に残っている。

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2008年1月 6日 (日)

経過年数を動的生成(Smarty版)

Smartylogoorange
blogやウェブサイトにSmartyというテンプレートエンジンを使ってる方も多いと思います。あれは便利ですね。
慣れると元には戻れません。

特に変化のあまり必要ない静的なコンテンツや最初に表示する内容が決まっているページは、毎回コンパイルしないでキャッシュした方のファイルを使うこともできるので、とても快適です。特に後者でデータべースから内容を拾って表示するような場合は、手にとるように速くなったのが分かります。

でもいくら静的だったりデフォルト表示でも、ここは変えたいなあと思う場所があります。

blogみたいに執筆日時が明確だと特に気にならないのですが、TIPSとかアーカイブとか、資料のようにして展開しているページの場合、ついうっかり○年前と書くと、年が変わったときに整合がとれなくなってしまいます。

そんなとき、Smartyは任意の場所のみ、キャッシュファイルを使わず常にリアルタイムに動的生成してくれるという機能を補完しています。
すごい!

なので、その機能を使って、常に整合のとれた経過年数を返してくれる簡単な関数をつくってみました(キャッシュを使わなくても有効です)。


■ロジックファイル側:
// 現在の年から当時の年をひいて、相対経過年数を動的に返す

function insert_relativeYear( $value ) {

  $relativeYear = (int)( date("Y") - $value['when'] );
  
  if ( ! $value['intFlg'] ) {
    if ( $relativeYear === 0 ) {
      $relativeYear = "今年";
    } elseif ( substr( $relativeYear, 0, 1 ) === "-" ) {
      switch( substr( $relativeYear, 1 ) ) {
        case "1":
        $relativeYear = "来年";
        break;
        case "2":
        $relativeYear = "再来年";
        break;
        default:
        $relativeYear = mb_convert_kana( substr( $relativeYear, 1 ), "N" ) . "年後";
      }
    } else {
      switch( $relativeYear ) {
        case "1":
        $relativeYear = "去年";
        break;
        case "2":
        $relativeYear = "一昨年";
        break;
        default:
        $relativeYear = mb_convert_kana( $relativeYear, "N" ) . "年前";
      }
    }
  }
  return $relativeYear;
}
?>


■テンプレートファイル側:
{insert name="relativeYear" when=半角で西暦年 [ intFlg=真偽 ]}


■使用例:
今年が2008年の場合――

{insert name="relativeYear" when=2006}
返り値: 一昨年 (全角string)

{insert name="relativeYear" when=2005}
返り値: 3年前 (全角string)

{insert name="relativeYear" when=2007 intFlg=true}
返り値: -1 (半角integer)

{insert name="relativeYear" when=2010 intFlg=true}
返り値: 2 (半角integer)


まーーー実に些細なことなんですが、書き換えなくて済むのはよいですね。以前は年を越えるたびに直してました。
もちろんはじめから西暦表示していればこんなの必要ないじゃんという話なのですが、ここらへんはそのサイトの性格とかになってきます。やっぱり口語的に「去年」とか書きたいひとにはよいのではないでしょうか。

経過時間を年ではなく、月とか日にち単位で表示する関数も、こんなノリでできちゃいますね。

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2007年12月22日 (土)

振り返れば魔法使い

あちらを立てれば、こちらが立たず。


よくあることだ。


そういうときの、切り札みたいな言葉はないのかなと思った。

あちらもこちらも、一言で同時に立ててしまうような魔法の言葉。

どっちも立てなかったのに、立てたことになってるような、もは魔法を。


「おまえら男だ( 高田延彦 )」


でも相手が女のひとだったらどうしよう。PRIDEももうなくなっちゃったし、そんなに効き目はファンタジーじゃないかもしれない。

手をかざして「ピロリロリ( ドラクエとかの回復系呪文 )」


痛い。


みつをのポエムを読む。


苦い。


前の会社で、ときどき回復系呪文はピロリロ唱えていた。今思えば、どうしてそんなことをしていたのだろうと思う。そんな記憶は消えてしまえばいい。円周率の途方もない数字のオンパレードのどっか一箇所に挟まって、見失ってしまえばいい。

もしくはそんないたたまれない思い出さえよかったものとして立ててしまえるような、応用の効く魔法を僕は探している。


たぶん、具体的な言葉じゃだめなんだろうな、と思う。言葉は意味があるから。

そしたら、こちらもあちらも立てるというより、カオスで混沌を呼び込んで相対関係とかめちゃくちゃにしちゃえば、どっちが立ってるのか分からなくなって、あとは平和国家日本の中で「まあ無事でよかった」という雰囲気が形成されて、ものごとは四捨五入的にすべてよかったということになるだろう。


叫びたい。

いや、もっと紳士がいい。


問いかけたい。

なにを問いかけよう。そうか、なにかを弁解しようとしてばかりいるから、あちらを立てるこちらを立てる、どっちを立てるという話になってしまうのだ。

問いかけるのか。


「どちらですか?」


いいかもしれない。あいまいで。紳士がいいのなら、

「どちら様ですか?」

いい感じだ。

昨日、キックオフしたプロジェクトで実際にあったこと。


--------------------------------------------

プロジェクトリーダー

「分からないことがあったらいつでも聞いてください。つかまらなかったり聞きづらかったらメールでも構いません」

早速分からなかったので聞く僕。ひととおりの簡単な質疑応答の末、

もうひとりのプロジェクトマネージャー

「分からないところを自分の力で解決するのも大事なことですよ。ウェブにはたくさん先生がいますから、そういうところで聞くのも手です」

「そうですね。分かりました」

--------------------------------------------

ここだな。この「そうですね。分かりました」を、「どちら様ですか?」と問いかけられるようになれば、分からなかったら聞いてと言ったリーダーも、自分で調べてというマネージャーも、どっちも立つたろう。

問いかけられたら答えるだろうから( たぶんこの場合聞き返されるとか? )、そしたらニヤニヤしてればいい。問いかけの内容自体に意味はないのだから。


日常を再構築するための自然発生的な民主的和平が降臨するのを、ただ待っていればいいのだ。


でもそんなこと言えるかな?

うーん。
でもこれはいいかもしれない。言えたらいいと思う。

問いかけてカオス。


恥ずかしさを超えられなければ、ほかにどんなスマートなやり方でカオスが呼び込めるだろう。

スマートでカオス。

スマートなのにカオスは難しいよ。


そしたら、やっぱり場違いなのに謝るとかか。

僕はひとに頭をさげることが割と簡単にできる方なので( だからダメなのか!と思ったけど、話が反れるのでスルー )、それなら恥ずかしくない。

困ったら謝って、話の主従関係が完全に崩壊して、つじつまを合わなくならせる( プチカオスと呼んでもいい )。

どうにも立ち行かなくなったら、「えーと」とか、「んー」とか言って、シンプルに受け流す。

シンプルが大事だと思う。言葉は意味になってしまうから。


よーし。

ここらへんならできそうだ。

明日からうまいこと立ち回っていけそうだぜ。


でも、よく考えてみれば、そういうことはずっと今までやってきた気がする。。


そうか。。


これはちょっともう、どうしたらいいんたろうかと思う。

こんなことじゃいけないと思って、立ち直りたくて、自分の頭に「ピロリロリ」とかやってみる。

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2007年12月 8日 (土)

溜め息で円周率を求めるように

甘いの以外は、好物である。甘いの以外のすべてに、躊躇はないと言ってもいいかもしれない。オートマチックのように、出てきたら食べる。こないだ食べシャコが意外とおいしくなかったけど、たぶんそのくらいだ。でも出されればまた食べるだろう。

ある日、ある偏食家に言われた。

「おまえは本当はなんでもおいしく食べてるんじゃなくて、味が分からないだけなんだよ」

新しかった。

目が覚めるようだった。

斬新すぎて、否定する理由がまったく思いつかなかった。チラとすら考えたこともなかったことだ。

それからも、そのことはずっと僕の中に残った。

それはたぶん、画期的な意見だったからではなく、あらゆる物事にあてはめることのできる訓辞のようなものに近かったからかもしれない。

僕たちはみんな、自らの主体性によって、感想を持つ。本を読んだあとの読後感は、本を読んだ当事者のものだ。お肉を食べておいしかったら、その「おいしかった感」は、食べた本人のものだ。

でももしそれがミリグラムとかリットルとか、絶対的な値であらわすことができたとしたら、僕の食べたお肉のおいしさは、なにリットルなのだろう。

広大な平野に僕たちの味わったおいしさバロメータが、僕グラフのようににょきにょきと林立するとしたら、僕のおいしさはどのくらいの高さまで伸びているのだろう。

ひょっとしたら野菜嫌いだけどお肉がなによりも好物みたいなひとが味わうお肉のおいしさは、群を抜いているのかもしれない。際立つように、相対的に、だから野菜が嫌いで、食べたくないのだ。

僕はまんべんない。だからどれもこれもそこそこの高さで、こじんまりとまとまっているのかもしれない。ひょっとしたら、お肉好きの人間の味わったおいしさ感を一度経験したら、自分の舌にがっかりするのかもしれない。

主観でしか測れないことこそ、丁寧に客観視するように努力するべきだ。

これはひとつの美学だ。

それを、その偏食家はすでに実践していたのかもしれない。だからそんな言葉が出てきたのだ。少なくとも、味を、客観視していたのかもしれない。

相当なことだ。

どんな女の子でも、ひとつでもいいところを見つけてすばやく褒める。これも美学だ。哲学の端っこにはいっていてもいいと思う。少なくとも、紳士だ。僕もそれを追いかけてきた。でも中には女の子のことを褒めるどころか、ブスだのデブだのケチョンケチョンに言うひともいる。

なんだ、話が肉から女に飛んだのかというと、そうではない。

ケチョンケチョンに言うひとでも褒めてしまう女の子というのは、そのひとにとっての「輝き度数」みたいなものは、なんリットルなのか。ひょっとしたら、まんべんなく褒めてる男の味わっている胸の高鳴りよりも、そういうひとの方が60デシベルくらいは高いのかもしれない。

こうして、「おまえは本当はなんでもおいしく食べてるんじゃなくて、味が分からないだけなんだよ」的訓戒は、あらゆる事象に置換され、僕をはたと考えさせる。

そして愚鈍な僕はいつまでも客観性について掌握しきれないまま、高い代償として、公平性を支払っているのかもしれない。

すべては暗喩だ。たとえば溜め息で円周率を求めるように。

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2007年11月29日 (木)

ステレオタイプ

昼間に絵本読んで泣いた。はじめはしゃらくせーと思って読んだ。「泣ける絵本第1位」とか、オビがしゃらくさかった。

たぶん僕は挑んでみたのだろう。

けちょんけちょんだった。この絵本1位だ!と思った。そして見事に俺もステレオタイプなのだなと思った。

読後感がふわふわして、仕事中もしばらく迂闊でいた。

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